二十一の二

 斯《こ》う云う状態は、不幸にして宗助の山を去らなければならない日迄、目に立つ程の新生面を開《ひら》く機会なく続いた。愈《いよ/\》出立《しゅったつ》の朝になって宗助は潔《いさぎ》よく未練《みれん》を抛《な》げ棄てた。
 「永々《なが/\》御世話になりました。残念ですが、何《ど》うも仕方がありません。もう当分御眼に掛かる折《おり》も御座いますまいから、随分御機嫌よう」と宜道《ぎどう》に挨拶《あいさつ》をした。宜道《ぎどう》は気の毒そうであった。
 「御世話どころか、万事《ばんじ》不行届《ふゆきとゞき》で嘸《さぞ》御窮屈で御座いましたろう。然《しか》し是程御坐りになっても大分《だいぶ》違います。わざ/\御出《おいで》になった丈《だけ》の事は充分御座います」と云った。然《しか》し宗助には丸で時間を潰《つぶ》しに来た様《よう》な自覚が明《あき》らかにあった。それを斯《こ》う取り繕《つく》ろって云って貰うのも、自分の腑甲斐《ふがい》なさからであると、独《ひと》り恥じ入った。
 「悟《さとり》の遅速《ちそく》は全《まった》く人の性質《たち》で、それ丈《だけ》では優劣にはなりません。入《い》り易《やす》くても後《あと》で塞《つか》えて動かない人もありますし、又初め長く掛かっても、愈《いよ/\》と云う場合に非常に痛快に出来るのもあります。決して失望なさる事は御座いません。たゞ熱心が大切《たいせつ》です。亡くなられた洪川《こうせん》和尚《おしょう》などは、もと儒教をやられて、中年からの修業《しゅぎょう》で御座いましたが、僧になってから三年の間と云うもの丸で一|則《そく》も通らなかったです。夫《それ》で私《わし》は業《ごう》が深くて悟れないのだと云って、毎朝《まいちょう》厠《かわや》に向《むか》って礼拝《らいはい》された位《くらい》でありましたが、後《のち》にはあのような知識になられました。これ抔《など》は尤《もっと》も好《い》い例です」
 宜道《ぎどう》は斯《こ》んな話をして、暗《あん》に宗助が東京へ帰ってからも、全《まった》く此方《このほう》を断念しない様《よう》に、あらかじめ間接の注意を与える様《よう》に見えた。宗助は謹《つゝし》んで、宜道《ぎどう》のいう事に耳を借《か》した。けれども腹の中では大事《だいじ》がもう既に半分去った如くに感じた。自分は門を開《あ》けて貰いに来た。けれども門番は扉の向側《むこうがわ》にいて、敲《たゝ》いても遂《つい》に顔さえ出して呉れなかった。たゞ、
 「敲《たゝ》いても駄目だ。独《ひと》りで開《あ》けて入《はい》れ」と云う声が聞えた丈《だけ》であった。彼は何《ど》うしたら此《この》門の閂《かんのき》を開《あ》ける事が出来るかを考えた。そうして其《その》手段と方法を明《あき》らかに頭の中で拵《こしら》えた。けれども夫《それ》を実地に開《あ》ける力は、少しも養成する事が出来なかった。従って自分の立っている場所は、此《この》問題を考えない昔と毫《ごう》も異なる所がなかった。彼は依然として無能無力に鎖《と》ざされた扉の前に取り残された。彼は平生《へいぜい》自分の分別《ふんべつ》を便《たより》に生きて来た。其《その》分別《ふんべつ》が今は彼に祟《たゝ》ったのを口惜《くちおし》く思った。そうして始《はじめ》から取捨《しゅしゃ》も商量《しょうりょう》も容《い》れない愚《おろか》なものゝ一徹《いってつ》一図《いちず》を羨《うらや》んだ。もしくは信念に篤《あつ》い善男善女《ぜんなんぜんにょ》の、知慧《ちえ》も忘れ、思議《しぎ》も浮《うか》ばぬ精進《しょうじん》の程度を崇高《すうこう》と仰《あお》いだ。彼自身は長く門外に佇立《たゝず》むべき運命をもって生れて来たものらしかった。夫《それ》は是非《ぜひ》もなかった。けれども、何《ど》うせ通れない門なら、わざ/\其所《そこ》迄|辿《たど》り付くのが矛盾《むじゅん》であった。彼は後《うしろ》を顧《かえり》みた。そうして到底又|元《もと》の路《みち》へ引き返す勇気を有《も》たなかった。彼は前を眺めた。前には堅固《けんご》な扉が何時《いつ》迄も展望を遮《さえ》ぎっていた。彼は門を通る人ではなかった。又門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦《すく》んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。
 宗助は立つ前に、宜道《ぎどう》と連れだって、老師の許《もと》へ一寸《ちょっと》暇乞《いとまごい》に行った。老師は二人《ふたり》を蓮池《れんち》の上の、縁《えん》に勾欄《こうらん》の着いた座敷へ通した。宜道《ぎどう》は自《みずか》ら次の間《ま》に立って、茶を入れて出た。
 「東京はまだ寒いでしょう」と老師が云った。「少しでも手掛《てがゝ》りが出来てからだと、帰ったあとも楽《らく》だけれども。惜《おし》い事で」
 宗助は老師の此《この》挨拶《あいさつ》に対して、丁寧《ていねい》に礼を述べて、又十日前に潜《くゞ》った山門《さんもん》を出た。甍《いらか》を圧する杉の色が、冬を封じて黒く彼の後《うしろ》に聳《そび》えた。